2009年07月03日

上海は中国最大の港湾であるのみならず

上海は中国最大の港湾であるのみならず、コンテナ取扱量ではシンガポールや香港に迫る世界第3位でやがては世界1位になるとみられる。

黄浦江の河港として始まった上海は長江沿岸の外高橋地区に重点を移し、さらに取扱量の増加やコンテナ船の大型化を見越して、世界のハブ港湾となる埠頭とコンテナターミナルを外海に面した杭州湾上に建設した。この新港は2005年暮れに「洋山深水港」として開業した。洋山深水港は上海の南30kmの沖合に浮かび、本土とは東海大橋で結ばれている。
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海上航路
神戸港および大阪港と上海を結ぶフェリー「新鑑真号」と大阪港と上海を結ぶ「蘇州号」が就航中。2005年には、山口県下関市と上海を結ぶフェリーが就航(2006年に中国側寄港地は蘇州太倉港に変更)。
航空航路
2007年現在、下記航空会社が上海と日本各地を結んでいる。

日本航空:成田・羽田・関西・名古屋・福岡
全日本空輸:成田・羽田・関西・名古屋・福岡
中国国際航空:成田・関西・名古屋・福岡・仙台
中国東方航空:成田・羽田・関西・名古屋・福岡・札幌・福島・新潟・広島・岡山・小松・鹿児島・松山・長崎・那覇

2009年06月13日

上槽(じょうそう)とは、醪(もろみ)から生酒

上槽(じょうそう)とは、醪(もろみ)から生酒(なまざけ)を搾る工程である。杜氏の判断で「熟成した」と判断された醪へ、アルコール添加や副原料が投入され、これを搾って、白米・米麹などの固形分と、生酒となる液体分とに分離する。杜氏蔵人言葉では搾り(しぼり)、上槽(あげふね)ともいう。

なお、固形分がいわゆる酒粕(さけかす)になる。原材料白米に対する酒粕の割合を、粕歩合(かすぶあい)という。

上槽をおこなう場所を上槽場(じょうそうば)といい、普通酒、本醸造酒、純米酒は、そこで醪自動圧搾機(もろみじどうあっさくき)や遠心分離機(えんしんぶんりき)などの機械で搾られる。吟醸酒のように丁寧な作業を要する酒は、昔ながらの槽搾り(ふねしぼり)、ヤブタ搾り、袋吊りなどの方法で搾られる。それは単に手造り感を演出しているわけではなく、吟醸酒の醪には溶解していない米が他種の酒よりも多く残る結果となるので、機械で搾ろうとしても酒粕が詰まってしまうからである。

搾りだされた酒が出てくるところを槽口(ふなくち)という。

また酒蔵では、その年初めての酒が上槽されると、軒下に杉玉(すぎたま)もしくは酒林(さかばやし)を吊るし、新酒ができたことを知らせる習わしがある。吊るしたばかりの杉玉は蒼々としているが、やがて枯れて茶色がかってくる。この色の変化がまた、その酒蔵の新酒の熟成具合を人々に知らせる役割をしている。


滓下げ [編集]
滓下げ(おりさげ)とは、上槽を終えた酒の濁りを取り除くために、待つことを指す。槽口(ふなくち)から搾り出されたばかりの酒は、まだ炭酸ガスを含むものも多く、酵母・デンプンの粒子・蛋白質・多糖類などが漂い、濁った黄金色をしている。この濁りの成分を滓(おり)といい、これらを沈澱させるため、酒はしばらくタンクのなかで放置される。滓下げによる効果は、単に濁りをとることに留まらず、余分な蛋白質を除去することで、瓶詰後の温度変化や経時変化によって引き起こされる蛋白変性での濁りの予防や、後工程となる濾過の負担軽減へも影響を及ぼす。

滓下げを施した上澄みの部分を「生酒」(なましゅ)という。「生酒」(なまざけ)とは別の概念なので注意を要する。

完成酒を生酒(なまざけ)や無濾過酒(むろかしゅ)に仕立てる場合などは異なるが、大多数の一般的な酒の場合、上槽から出荷までには二度ほど滓下げを施すことが多い。第一回目の滓下げをおこなったあとの生酒(なましゅ)にも、まだ酵母やデンプン粒子などの滓が残っているのがふつうで、雑味もかなりあり、これらを漉し取るために濾過(ろか)の工程が必要となってくる。

近年では、消費者の「生」志向に乗じて、滓下げ以降の工程を施さず無濾過生原酒として出荷する酒蔵もあらわれてきている。


濾過 [編集]
濾過(ろか)とは、滓下げの施された生酒(なましゅ)の中にまだ残っている細かい滓(おり)や雑味を取り除くことである。液体の色を、黄金色から無色透明にできるだけ近づける目的もある。なお、この工程をあえて省略して、無濾過酒(むろかしゅ)として出荷する場合も多い。
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活性炭濾過 生酒(なましゅ)の中に、粉末状の活性炭を投入して行なわれる濾過を炭素濾過(たんそろか)もしくは活性炭濾過(かっせいたんろか)ともいう。この活性炭粉末を、酒蔵では単に炭(すみ)と呼ぶ。基本的には一般家庭の冷蔵庫などで使われる脱臭炭や、煙草のフィルターに入っている黒い粉末と同じものである。目安として、生酒(なましゅ)1キロリットルにつき炭1kgを投入し、取り除きたい成分や色をその炭に吸着させて沈澱させる。その後に不要成分ごと炭を脱去する。活性炭を投入するといっても、単に投げ入れるだけではなく、取り除きたい成分や色だけを抜くところにこの工程の難しさがある。あまり入れすぎると酒は澄んでくるが、味も色も香りもすべて無化して面白くも何ともない完成酒になってしまう。じつは高級酒ほど炭の使用量は少なく、根強いファン層を持つ銘酒では0.06キログラム程度であるともされる。このように、炭加減(すみかげん)がたいへん微妙であることから、地酒の本場では蔵人のあいだで炭屋(すみや)と呼ばれる、この工程だけの専門家が多く存在したが、活性炭濾過そのものが過去の手法になりつつあり、現在では活性炭の使用量、使用の有無、炭屋なる専門職は減少傾向にある。また活性炭を使用してから他の方法で濾過する場合も多いので、「活性炭の使用」の有無と「濾過」の有無は、まったく別の次元の話である。
珪藻土濾過 精製された珪藻土の層を用いた濾過を行い、夾雑物を、そして活性炭濾過を行なったあとであれば活性炭そのものを取り除く。珪藻土とは珪藻類の化石で、非常に小さな孔を多数持つ形状をしており、色の元となる物質、雑味物質、香り物質もある程度除去する。この濾過技術の進歩は、活性炭の使用が減少している一助ともなっている。
濾紙による濾過 特殊な濾紙を用いて濾過をする場合もある。
フィルター濾過 最近とみに増加してきた。カートリッジ式のフィルターを用いて濾過する方法。カートリッジ式なので取替えが可能で、手軽さがメリットである。とくに生酒(なまざけ)として出荷する場合は、火落ち菌対策として、火入れをしないことから、高精度な(0.22 - 0.65μ程度の)除菌のための濾過をこれによっておこなう。
槽口(ふなくち)から搾られたばかりの日本酒は、たいてい秋の稲穂のように美しい黄金色をしている。かつての全国新酒鑑評会では、酒に色がついた出品酒を減点対象にしていた時代があった。いきおい、酒蔵はどこも懸命に活性炭濾過で色を抜き、水のような無色透明の状態にして出荷することが多かった。

いわゆる「清酒」という言葉から一般的に連想される無色透明な色調は、そのような時代の名残りともいえる。現在では、雑味や雑香はともかく色の抜去は求められなくなってきたので、色のついたまま流通する酒が復活し、むしろ自然な色のついた酒の素朴さを好む消費者も増えてきている。このような流れのなかで、濾過のあり方も今後どうなるか注目されている。

2009年06月09日

予防接種の先駆けは、紀元前200年ごろ

予防接種の先駆けは、紀元前200年ごろ、古代中国で行われていた[1]。 学者のオーレ・ロン(Ole Lund)はこう記している。「文書上の予防接種の例で最も古いものは17世紀のインドおよび中国のもので、天然痘に感染した人のかさぶたを粉末状にしたものを病気の予防に使用した、という例である。昔、天然痘は世界共通の病気で、感染した人の20%から30%は死亡していた。天然痘は、18世紀ヨーロッパの数カ国において、死因の8%から20%を占めていた。予防接種の習慣は紀元前1000年のインドに起源をもつと考えられる」[5]アーユルヴェーダの教本、サクテーヤ・グランサム(Sact'eya Grantham)に予防接種についての記述があったことが、フランスの学者アンリ・マリ・ユッソン(Henri Marie Husson)によって、Dictionaire des sciences me`dicales誌中に報告されている。[6]ネトリーの病理学教授、アルムロス・ライト(en:Almroth Wright)は、ネトリー病院のプロフェッショナルを率いて実験を行い、後世の予防接種の形態を形作った。彼の実験結果は、ヨーロッパでのさらなる予防接種の発展に繋がった
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病気が蔓延する危険を避けるため、様々な時代ごとに、国や機関それぞれが、全ての人々に予防接種を義務化する法律を作ってきた。例えば、1853年の法律では、イングランド・ウェールズ全国での天然痘予防接種を義務化し、これに従わなかった者からは罰金を徴収した。現在、アメリカの州共通の予防接種法では、就学前に公的予防接種を受けることを義務づけている。他にもほとんどの国で同様の強制的な予防接種を行っている。

19世紀に始まる初期の予防接種以来、予防接種の法律化は様々な団体からの反発を引き起こした。こういった団体は包括的に予防接種反対論者(anti-vaccinationist)と呼ばれ、倫理的・政治的・衛生的・宗教的・その他の観点から予防接種に反対している。よく見られる意見は、「強制的な予防接種が個人の問題に対する過度の干渉にあたる」「推奨されている予防接種の安全性が不十分である」といったものである[8]。現代の予防接種法は、免疫不全の人々やワクチンへのアレルギーを持つ人々、強固に反対する人への例外措置を設けている[

2009年04月25日

オーストリアから見た経緯

カールが皇帝に即位した時の神聖ローマ帝国(つまりドイツ)は、時折りしも、宗教改革の嵐が吹き荒れている最中であった。元々カール自身は熱心なカトリックであったが「神聖ローマ皇帝」という存在自体が 「カトリックの守護者」という大前提の元に成り立っていた。つまりローマ教皇はカトリックを守護することを前提としてドイツ王に帝冠を与えるという側面を持っていたわけである。

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こうしてスペイン国王についで神聖ローマ皇帝の座を射止め、自信に満ち溢れていたカールは、皇帝たる自身の声によって直接説得を行う事によって、宗教改革を終息へ向かわせる事が可能だと考えていた。マルティン・ルター自身を帝国議会に招集し、自らの説得を行ったカールだったが、しかしルターは自らの信条を翻そうとはしなかった。結果、カールは彼を異端と宣言し、彼から法の保護を剥奪し、ルター派の活動は絶対に認めないとの立場を明確にした。身の危険が迫ったルターはザクセン公の庇護下に入るが、これが長く続く神聖ローマ皇帝とルター派諸侯の対立の始まりであった。彼らルター派諸侯はフランス国王フランソワ1世の援助を受け、カール包囲網の一翼に組み込まれていく。

ところが、オスマン軍がバルカン半島への侵攻の度合いを強めると、皇帝カールは前言を撤回し、ルター派の活動を容認する立場に転化した。もちろんこれは国内の対立を一時凍結して、オスマンの侵攻への防御に全力を傾けるための方策であり、また詭弁に近かった。実際カールはオスマンがウィーンから撤退をはじめるとすぐさまこの発言を撤回している。

オスマン帝国から見た経緯
スレイマン1世率いるオスマン帝国は、その絶頂期を迎えており、東ローマ帝国陥落によって手に入れた、バルカン半島南部に続いてさらに北上し、ハンガリー、ルーマニアの獲得を狙っていた。すでにオスマン軍はベオグラードを陥落させ、ロードス島の聖ヨハネ騎士団を打ち破っていた。また1526年にはモハッチの戦いでラヨシュ2世率いるハンガリー王国軍を壊滅させ、ラヨシュを戦死させている。

これによってハンガリーは首都であるブダを放棄せざるを得なくなり、現在のスロバキアの首都である、ブラチスラバに都を移した。又国王の戦死により以降のハンガリー王はハプスブルク家によって務められることになった。対立王であるトランシルヴァニア侯はオスマン帝国に通じてハプスブルク家を追い出そうとし、オーストリアにとっては非常に危険な事態となった。

さらにフランソワ1世とスレイマン1世が同盟を結ぶと、すぐ背後に迫っているオスマン軍がフランスの意を受けて、オーストリアの首都であるウィーンを直接狙う事は、火を見るより明らかであった。

ウィーン包囲失敗の原因
オスマン軍の補給線が延びきっており、補給がうまくいかなかった事。
すでに寒さが厳しくなってきている9月から10月の出来事で、寒さに慣れていないオスマン兵では包囲戦がうまくいかなかった事。
ウィーンがオスマン軍の最到達線である事。

ウィーン包囲は失敗に終わったものの、ハンガリー王も兼ねる事になったハプスブルク家にとって直ぐに反攻しハンガリー領を奪い返すことは出来なかった。ハンガリーが元の領土を復活させるのは1683年の第二次ウィーン包囲に失敗したのち、オーストリア軍、ハンガリー軍、ポーランド軍などが反攻し、オスマン軍を打ち破った後の1699年、カルロヴィッツ条約の成立を待たなければならなかった。

オスマン帝国はその後も攻勢を続け、カールは1538年のプレヴェザの海戦でオスマン海軍に敗退し、ヨーロッパ世界は地中海の制海権を失ってしまう。

何よりもオスマンの脅威をヨーロッパ世界に対して広く植え付けた事は大きい。オスマン帝国による二度にわたるウィーン包囲は、国力・政治力の差が結果の違いに表れた。第一次包囲戦ではハプスブルク家の抵抗により長引いた包囲戦に加え、冬将軍が到来していた。オスマン帝国スルタン・スレイマン大帝は、撤退を厳命し、粛々と去っていった。しかし第二次包囲戦では、オスマン帝国大宰相の勇み足と、無謀さが災いし、ヨーロッパ諸国の参戦を招き、帝国の衰退をもたらした。第一次包囲戦は、戦略的にオスマン帝国の勝利をもたらし、スレイマン大帝によるオスマンの世紀を紡ぎ出したのである。

2009年04月08日

河島英五

河島 英五(かわしま えいご、1952年4月23日 - 2001年4月16日)は日本のシンガーソングライター、俳優。大阪府東大阪市出身。長女・河島あみるは歌手・タレント、次女・河島亜奈睦(アナム&マキ)、長男・翔馬も歌手。

大阪府立花園高等学校卒。京都府京都市を拠点に活動。晩年は大阪府四條畷市に在住していた。長女・河島あみるの結婚式に参列後の2001年4月16日、肝臓疾患のため急逝した。

1970年代に河島英五とホモ・サピエンスを結成して、京都レコードからデビュー。グループ解散後ソロ活動開始
代表曲は「酒と泪と男と女」。この歌は萩原健一がカバーし、テレビの歌番組等で歌っていたが、同じ頃、河島の歌唱版が京都・伏見の清酒メーカー・黄桜酒造(現:黄桜)のCMソングとして使われるようになると全国的なヒットとなり、河島自身も全国的に名が知られるようになった。
その他の代表曲は「野風増」(橋幸夫らとの競作)、「時代おくれ」、「生きてりゃいいさ」(加藤登紀子に書き下ろした楽曲で、のちに河島もシングル発売)など。「時代おくれ」は、現在も多くのおやじ世代にカラオケで歌われており、松本人志、朝青龍や山本浩二、久保竜彦らも愛唱歌としている。また、“ランバダ”がダンスナンバーとして日本で流行する以前に『花の種』というアンデスを舞台にした哀調の日本語ナンバーに仕上げてレパートリーとしていた。
コンサート活動では、大都市だけでなく山間部や僻地でも行い、音楽を通じてファンと交流することに主眼を置いた。
1980年代、ケニヤの首都ナイロビにある「グリーンバー」という酒場のジュークボックスには「酒と泪と男と女」のレコードがあり、日本人客が来ると現地の娼婦などがよくかけてくれた。当時、旅行者の間では、河島がグリーンバーに立ち寄った際、「俺は日本の歌手だ」と言っても誰も信じてくれなかったために自分のレコードを置いていった、という逸話がある。
阪神・淡路大震災の被災者を励ますために、友人の桂南光らと毎年神戸でチャリティコンサート「復興の詩」を開いていた。死去した年のコンサートでは、河島の3人の子供たちと桂南光が、遺作『旧友再会』を観客と共に歌った。
告別式終了後の出棺の際、棺の上に遺影が置かれ、参列者から「英五」の連呼が起こった。自身のヒット曲「野風増」の歌詞には、息子が20歳になれば2人で酒を酌み交わしたいという内容があったが、皮肉にも河島本人は歌詞通りに息子・翔馬と杯を交わすことは叶わなかった。

アルバム [編集]
人類(1975年)
運命(1976年)
信望(1977年)
ライブてんびんばかり(1977年)
仁醒(1978年)
河島英五作品集(いくつかの場面)(1979年)
EIGO SPECIAL(1979年)
ホモサピエンス門外不出(1979年)
文明 I(1980年)
文明 II(1980年)
文明 III(1980年)
トップシングルコレクション(1983年)
河島英五 の世界(1984年)
発汗(1985年)
時代おくれ(1986年)
ベスト・セレクション(1986年)
ろまんちすと(1987年)
河島英五1975?1986(1987年)
「文明」ベスト&名作集(1987年)
季節(1988年)
河島英五 SCENE OF38(1989年)
河島英五 アコースティックベストセレクション(1992年)
ほろ酔いで(1993年)
自選集(1993年)
ボーカル&カラオケ・ベスト5(1994年)
自選集II〜カヌーにのって(1995年)
大全集Vol.1〜ホモサピエンス(1997年)
大全集Vol.2〜酒と泪と男と女(1997年)
全曲集’98(1997年)
ベスト・コレクション(1997年)
大全集Vol.3〜心から心へ(1998年)
コレクション 酒と泪と男と女(キングCD文庫)(1999年)
河島英五 ベスト撰集(2000年)
河島英五 LASTLIVE〜今日は本当にありがとう(2001年)
DREAM PRICE 1000 河島英五(2001年)
酒と泪と男と女 メモリアル(2002年)
GOLDEN☆BEST 河島英五 SINGLES(2002年)
河島英五 History 〜天夢〜(2003年)

俳優としての活動 [編集]
NHK銀河テレビ小説『まんが道』で、トキワ荘グループ・新漫画党リーダーである二代目寺田ヒロオ役を演じた。
NHK連続テレビ小説『ぴあの』
NHK連続テレビ小説『ふたりっ子』に伊原剛志演じる“マサ兄ィ”の兄貴分である「占いのできる神秘的なマスター」役で出演した。
NHK子どもパビリオン『ちりめんじゃこの詩』
中学生対象の教育映画『まじめで悪いか!』に出演、中学校(新潟県長岡市立南中学校)の教師役を好演した(原作:高橋 一『梅雨明け』。「生きてりゃいいさ」が挿入歌として使われた)
トラブルマン笑うと殺すゾ!(初主演映画)
他、ゲスト(友情)出演、レポーター等多数

ピンク バター 天使ノタ マルチ 華の段 メロン カーリング ゲットー バイオガス ハンカチ ハンドマ チューリン バナナ レパシー サープラ ロザリ キンリー ウエス シェリフ アンソ チェロ さらくやし ピーエル ギング モノキ トリポ ラップカ ハイデ 枸橘 高麗人参 リベラル ワイル ブレーキ ちょうせき トレーダー カモミー アージュ リム いっきく おのえ フィナーレ ゴニウム ノギス ソフト スポイル マベパール ラクトース きわの マフィン ングイン

2009年03月24日

名鉄モ1形電車

名鉄モ1形電車(めいてつも1がたでんしゃ)とは、かつて名古屋鉄道の岐阜市内線・美濃町線など、岐阜地区の600V線区で運用された路面電車車両の一形式である。

モ5形、モ10形(2代目)はモ1形とほぼ同じ車両である。美濃電気軌道のD1形が前身であるが、笠松線(現名古屋本線の一部)などの郡部線用に増備された車両である。ここでは、モ1形、モ5形、モ10形(2代目)の両方とも記述する。

モ10形(初代)は、旧瀬戸電気鉄道(現名鉄瀬戸線)の車両であり、1939年(昭和14年)から1949年(昭和24年)の間、モ10形を名乗っている
モ1形 [編集]
美濃電気軌道が1911年(明治44年)に岐阜停車場前?今小町、神田町?上有知の開業とともに運用開始された、D1形が前身である。オープンデッキの木造二軸単車であった。

開業当初に配備されたのは、1?8、10?12、34の、合計12両存在した(9は当初から欠番)。後に名古屋鉄道モ1形に改称されている。台車はブリル21-E、車体は天野工場の製造である。集電装置はポール、ブレーキはハンドブレーキと、非常用の電気ブレーキを装備していた。

1939年に2?4、10、12、34が廃車され、太平洋戦争により一部の車両被災により焼失。被害の少なかった1両(3)は焼失した車体を新造して復旧しているが、車体新造車はモ50形に改称されている。戦後に生き残ったモ1形は、1・5・7・8の4両であり、1949年に改めて改番され、モ1形(1?4)となっている。

戦後、外扉の取り付け、集電装置はビューゲルに変更、車体の外側には鋼板を貼り付けられ、簡易鋼体化車(ニセスチール車)に改造されるが、ブレーキはハンドブレーキのままであった。

1965年より廃車されたが、1両(モ1形3)は1967年7月25日、モ550形IIの登場まで運用された。

モ5形 [編集]
1912年(明治45年)に増備された車輌である。20?26、28、30の合計9両が存在した(29は欠番)。

オープンデッキの木造二軸単車で、台車はブリル21-Eで、車体の外観など基本的にはモ1形と同じであるが、京都の丹羽電車製作所の製造であることが異なる。

1944年に2両が仙台市電へ譲渡され、太平洋戦争により一部の車両被災により焼失。焼失した車輌のうち2両は車体を新造し、モ50形に改称されている。5両が生き残り、1949年にモ5形(5?9)に改称されている。モ1形と同じように改造されて運用され、1966年(昭和41年)の2両(6、9)が廃車されて形式消滅した。

モ10形(2代目) [編集]
1914年(大正3年)に増備された車両である。27、31?33、35?38、40、41、43、44の12両が存在した(39、42は欠番)。

名古屋電車製作所の製造で、当初から外扉が設置されており、屋根には通風器が設置されていた。集電装置はポール、ブレーキはハンドブレーキと、非常用の電気ブレーキを装備していた。

太平洋戦争により一部の車両被災により焼失。焼失した車体を新造して復旧しているが、車体新造車はモ50形に改称されている。戦後に生き残ったのは、27・31?33・36?38・40・41・43の10両であり、1949年(昭和24年)に改めて改番され、モ10形(10?19)となっている。尚、改番は、旧33→10、旧36→11、旧37→12、旧38→13、旧40→14、旧41→15、旧43→16、旧27→17、旧31→18、旧32→19である。

戦後、集電装置はビューゲルに変更、車体の外側には鋼板を貼り付けられ、簡易鋼体化車(ニセスチール車)となるが、ブレーキはハンドブレーキのままであった。

10両中7両(10・11・12・14・16・17・19)が1967年7月25日まで運用された。

ワンス ボデオ モンクレ シガト ドレア パーコレ スタート メジャー ピーエイ ソフトダ ロッド たむぽえ フレム パンジー 羅生門 ブリスベ 便利に イチゴ ストッ ニット えいか ハンド ジース カーネリ ドラー あいら パンゲア オブラ ジンサ スカジー ドルペッグ うたまくら えいこう モルディブ たいゆう ニオブ 美女と野獣 ドーマ トップ トパイ ダウンベ ナビルポ ナトリ ろぎょ オーニソム 雪舞い マルチ タイトルラ トリ キャメ


2009年03月08日

フォアグラ(仏:Foie gras)

フォアグラ(仏:Foie gras)は、必要以上にエサをたくさん与える(強制給餌/ガヴァージュ 仏:gavage/英:en:Force-feeding)ことにより、肝臓を形成する肝細胞に使われない脂肪が蓄積する過程で、どんどん肝臓の一部が脂肪に置き換えられていく状態「脂肪肝」を人工的に作り出したものである。通常ガチョウまたは鴨が使用され、世界三大珍味の1つに数えられる食品である。

フランス語で「フォア(foie)」は「肝臓」を、「グラ(gras)」は「脂の多い、肥大した、太った」を意味する。即ち、「フォア・グラ」は「脂肪肝」のことである(ただし、疾患としての「脂肪肝」を意味するフランス語は「stéatohépatite」である)。

フォアグラの生産はガチョウの強制給餌を伴うため、動物虐待に当たるとして生産や販売を禁止する動きが広がっている。

古代ローマ人が、干し無花果をガチョウに与えて飼育し、その肝臓を食べたのが始まりと言われる。大プリニウスの『博物誌』によると、古代ローマでは、ガリアからもたらされたガチョウに強制肥育を施して、食材としていたことが記録されている。これにある美食家がさらに工夫を加えて、無花果で肥育させた上に、肥大した肝臓を蜂蜜入りの牛乳に浸して調理する技法を発案したと伝えられている。

ローマ帝国崩壊後にこれらの技法はいったん衰退したが、徐々に復活し、ルネサンス期にはフォアグラ生産業が定着して、食材として認知されるようになった。フランス革命前までは、フォアグラの製造にはガチョウだけではなくニワトリなども用いられたが、19世紀になると、ガチョウがフォアグラの素材の定番として定着した。ガチョウは牧草などの粗食で大きく育つため、あまり地味の豊かでない土地で多く飼育され、またそうした地方には17世紀に新大陸からトウモロコシが導入されて、農業生産がようやく向上した。後述のような今日のフランスの主要フォアグラ産地は、このような地理的、歴史的条件を背景とし、ガチョウ飼育農業とトウモロコシの出会いの上に成立したのである。今日ではガチョウ以外に鴨のフォアグラも作られており、野生的な味がガチョウのものと異なるものとして評価されているが、火を通したときに溶けやすいこともあって、料理法の許容範囲はガチョウのものほど広くはない。なお、ここでいう「鴨」とは野生のマガモを家禽化したアヒルのことであるが、フランス料理用語としては野生のカモと家禽のアヒルを訳し分けない慣行であるため、以後も「鴨」の表記を用いる。

製法
今日フランスでフォアグラ用に供されるガチョウは「Oie de Toulouse(オワ・ド・トゥールーズ、トゥールーズのガチョウの意)」などの大型品種で、初夏に生まれた雛を野外の囲い地で牧草を餌に十分運動させて育て、基礎体力を付けさせる。夏を越して秋になると狭い場所に閉じ込めて運動できないようにし、消化がよいように柔らかくなるまで蒸したトウモロコシを、漏斗(ガヴール)で強制的に胃に詰め込む強制給餌(ガヴァージュ)を1日に3回繰り返す。これを1ヶ月続けると、脂肪肝になった肝臓は2kgに達するほどに肥大し、頭部と胴体を水平にする姿勢しかとれなくなるに至る。フォアグラはこの段階のガチョウをしめて取り出し、余分な脂肪、血管、神経などを丁寧に除いてから、冷水に浸して身を締める。
バニラ ラバー 野かんぞう シバナ ナムル 青じそ ネムノ マンナン シュミー 春の小川 スキル マルシー フライ イノベー フェロール ウシカ おすすめ ライフ シュー スタイ ラードダ カタクリ 桜桃 ステッカ バイオ ドリフト テキス サイト刈穂 ルクラス シャンパン ピン幸運 ドラキュラ ヨード パレス トレー しりもち くさなぎ アックス すたー るはーぶ ワイルド ぴおーね 天使のア シスタ リライト ランス ナルキ サイバ グロブリン ポイント

鴨の場合、ガチョウにはない素嚢(そのう)と呼ばれる食道にある袋のような器官に餌が多量に入っていると、消化の速度が上がるという特性を持っている。そのため、人の手によるガヴァージュを行う前に10日間ほど好きなだけ餌を食べさせるプレガヴァージュを行い、効率よくガヴァージュを進める。給餌は一日2回で、期間は3週間である。また、近年では機械化された飼育場ですりつぶしたトウモロコシを自動的に与え、2週間ほどでガヴァージュを終わらせる速成法もあるが、素嚢でトウモロコシが発酵してしまうため、フォアグラの質は劣る。

フォアグラを取り出した残りの部分は、肥育によって多量の脂肪が蓄積されている。産地ではこのことを利用して、ガチョウ自身の脂肪で残った肉を油煮にして保存食料のコンフィを作る。フランスの地方料理は多用する油脂の種類で特徴付けられ、例えばノルマンディー地方はバター文化圏、イル・ド・フランス地方はラード文化圏であるが、フォアグラの主要な産地のひとつであるラングドック地方はガチョウ脂肪文化圏に属している。

2009年02月20日

航空宇宙軍史

『航空宇宙軍史』(こうくううちゅうぐんし)は谷甲州原作のハードSF小説のタイトル。 この項ではこの作品と同一の世界設定を用いた作品群を含めて航空宇宙軍史シリーズとして扱う。

ハヤカワ書店より刊行されたほか、中央公論社より、電子書籍として全面改稿された『カリスト?開戦前夜?』と『タナトス戦闘団』が発売されている。
バク転 ルーシュ ハーブ シニカ テンペラ オーソー スラウ タナトス パンヤゾ いす 夢のカケラ コテージ リターン シーバー ディズム 不死鳥 パドボ 無邪気 アニン シノプシ クリア ラック 君の左手 ライム テストケー ダラス バイア ツルグミ めじり パントモ ニュー ニング エカナ ルノワー シング スカイブル マルメロ パジャマ こむぎ ズボン ウエハース きょうりん ステラ リレー きんかん ドレナ スキーリ パラメデ ローフ アイスティー

航空宇宙軍の発足から、外惑星連合(木星・土星の衛星による連合)との2次に渡る戦争(外惑星動乱)、そして汎銀河連合との恒星間戦争に至る人類文明史を背景に展開する、ハードSF作品群。

相対軌道・相対速度を利用した爆雷等の兵器をはじめ、航宙に年単位の時間がかかる(ワープの類は出てこない)、実際に計算された星間軌道など、今日の科学的知見と技術的蓄積の延長線上にある「嘘っぽくない」宇宙戦争が魅力である。また戦争の背景となるべき社会の資源・技術・エネルギー収支・新技術の実運用面等の考察を踏まえている点は注目に値する。
作品に描かれている時代を元に分類する。大きく分けると、長編がメインストーリーで、短編は局地戦を描いたものが多い。

戦闘員ヴォルテ
地球上、サハリンからシベリアでの物語。航空宇宙軍によって戦いのために作られた人造人間ヴォルテによる、自由を求める闘争を描く。
137機動旅団 ?? 雑誌掲載のみ
ガネッシュとバイラブ
戦いに敗れ銀河に散って迫害を受ける地球人が、地球帰還のためにテロで恒星間宇宙船を奪おうとする。しかし成功せず、大量の犠牲者を出した末に惑星間宇宙船による無謀な恒星間逃避行となる。その妄執とも言える望郷の念を追跡機の機載コンピュータがシミュレーションの末に理解してしまったとき…。
惑星CB-8越冬隊
地球は汎銀河世界にその位置さえも忘れ去られた時代。特異な軌道を持つ惑星CB-8を可住化改造するためのプロジェクトは、CB-8の異常な性質により人工太陽がトラブルを起こし、気圧変動も重なって越冬隊は全滅の危機に瀕する。一方CB-8にはありのままのその星に入植しようとした地球人グループもいた。空気が希薄になりゆく氷の大陸で、生き延びるための苦闘が始まる。

第1次外惑星動乱
カリスト?開戦前夜?
開戦前夜のカリスト。航空宇宙軍に対する戦略をめぐってカリスト軍幹部たちは議論を重ねるが、非公然組織であるがゆえの統制の甘さをついて主戦派は戦争準備につきすすむ。早期の開戦に反対する戦略情報部長エリクソン准将は、この動きを阻むべく、独自の活動を開始した…。
タナトス戦闘団
慎重派のクーデターの失敗から、主戦派が主導権を握ったカリスト。開戦劈頭の奇襲作戦決行の準備を命じられたタナトス戦闘団隊長ダンテ中佐は、月面都市に潜入する。しかし、カリスト軍幕僚会議の思惑と航空宇宙軍警務隊の隙の無い警戒の間で、事態は思わぬ方向に進んでゆく。
仮装巡洋艦バシリスク ?? 短編集
火星鉄道一九(マーシャン・レイルロード) ?? 短編集
巡洋艦サラマンダー(クルーザー サラマンダー) ?? 短編集
星の墓標 ?? 短編集

第1次外惑星動乱終結後
最後の戦闘航海
エリヌス?戒厳令?
戦後地下組織化した外惑星連合軍SPAが、エリヌスでクーデターを企てる。SPAはいったんは行政府を制圧しかけたかに見えたが…。戦争に引き裂かれた家族の悲しい物語でもある。

汎銀河文明との対決と航空宇宙軍の終焉
終わりなき索敵(上・下)

航空宇宙軍
航空宇宙軍は航空宇宙軍史に登場する架空の軍事組織。 作中では元々はアメリカ合衆国軍の同一部門から独立発展した組織とされている。 便宜上地球?月連合の指揮下に置かれているが、実質は独立した国家並の権限を持ち合わせていると思われる。

22世紀後半以降、天王星の衛星エリヌスに総司令部が置かれた。大きく分けて内宇宙艦隊、外宇宙艦隊の二系統に分かれる。

内宇宙艦隊
平時は太陽系内の治安維持を主目的とする艦隊組織。 フリゲート艦と警備艦を主戦力として構成される。
太陽系内での有事の際は主戦力として敵勢力と交戦。

ゾディアック級フリゲート艦(スコーピオン、タウルス、アクエリアス、アリエス、サジタリウス、カプリコーン)
フリゲート艦ジェミニ、オフィユキ、オリオン
特設砲艦レニー・ルーク
オルカ・キラー

外宇宙艦隊
時期によって三段階にその主目的は変質した。

初期
太陽系外の探査活動を主要業務としていため、観測艦とそれを支援する艦艇によって構成されていた。

ダイダロスシリーズ
イカロスシリーズ
オデッセウスシリーズ
観測支援艦シビル11
観測艦ユリシーズ

超光速シャフト(超光速空間流)及びSGとの接触後
所属艦艇に超光速航法実験艦が加わる。 SG情報によって汎銀河文明の探査に乗り出したのもこの頃である。 以降組織は肥大化し、その主任務は、汎銀河文明の探索、発見後支配する為の軍政組織に変質した。 戦闘艦艇が主力となり、航空宇宙軍内での主戦力化。

オルフェウスシリーズ
カンチェンジュンガ級宙域制圧戦闘母艦

末期
圧力的軍政に失敗し、汎銀河連合軍との交戦。 超光速航行艦による主力艦隊を構成。

ミンダナオ級高加速戦闘艦
ガンガ級主力戦闘艦

外惑星連合
本作品中における航空宇宙軍の対抗勢力の一つ。 地球-月連合、惑星開発局、さらに航空宇宙軍の間接・直接の支配に対して自然発生的に締結された衛星国家の連合政体。中核は木星系のカリスト、ガニメデ。それにイオ、エウロパ、土星系のタイタン及び最終的には両トロヤ群が参加した。

しかしながら、実質的な活動の主体となったのは木星系の2大国であり、他の諸国の影響力は小さかった。また、土星系とは足並みの乱れが目立ち、結束の度合いは疑わしかった。

外惑星連合軍
第1次外惑星動乱まで
外惑星連合加盟国の宇宙軍の連合体。航空宇宙軍の監視に対する配慮から、当初は武官の連絡会議の体裁を取ったが、航空宇宙軍および地球月連合に対する対抗のための軍事戦略の研究が裏面では進められていた。第1次外惑星動乱の直前までは非公然組織であったが、そのことが統制の甘さを生み、一部軍人たちの独走を許したために、航空宇宙軍に介入の口実を与えてしまい、外惑星連合全体としての自立戦略の長期的な策定と実行を妨げることになった。いずれにせよ、実体は、航空宇宙軍の脅威に怯える各衛星国家の自衛軍を糾合したものに過ぎず、実質的に戦力となるのはカリスト、ガニメデ、タイタンの3カ国軍のみ。

第一次外惑星動乱前夜には多数の共通規格商船を改装した仮装巡洋艦を保有。

動乱後期には唯一の正規巡洋艦サラマンダーが竣工している。

巡洋艦サラマンダー
仮装巡洋艦バシリスク
無人砲艦ヴァルキリー
オルカ戦隊

第1次外惑星動乱終結から壊滅まで
第1次外惑星動乱終結後、公的組織としての外惑星連合軍は消滅したが、戦犯追及を受ける恐れのある旧軍人の逃亡を幇助する地下組織にその名は引き継がれた。主に木星系の旧軍人が中心となり、旧ガニメデ軍情報部の幹部たちが指導者となった。しかし、敗戦とそこに至るまでの過程での悲惨な状況に対し責任をとるべき人々を助けるばかりの活動に対する不満から内紛が発生し、旧軍幹部からなる指導層が一掃された。以後、航空宇宙軍と地球月連合の支配に抵抗する抵抗組織に再編されるが、長期にわたる活動のうちに内部の規律と統制は弛緩し、航空宇宙軍警務隊の作戦によって壊滅させられた。

タナトス戦闘団
カリスト防衛軍警備隊の下部に設けられた陸戦部隊。山下准将隷下。指揮官はヘロム・"ダンテ"・フェルナンデス中佐、副隊長はローレンス・ブライアント少佐(ランス)、その他隊員として、ブロー、ラム、ロッド、ジョーなどがいる。戦前のアナンケ航空宇宙軍基地接収作戦、開戦劈頭の月面襲撃作戦、タイタンでのラザルス回収作戦、終戦直前のカリスト・クーデターなどで活躍したが、戦後、多くの隊員の消息は不明である。

汎銀河連合
作中には明確な形では登場していない。汎銀河世界が侵略し支配しようとする航空宇宙軍に対抗するために結成した組織。汎銀河世界とは、空間流に乗って銀河中心に向かったジョー・シマザキの心が時間と空間を超えて銀河系にばらまいた命と、それに受け継がれるジョーの心すなわち伝説とを元に、銀河系各所に成立した文明世界である。

2009年02月04日

清水徳川家(しみずとくがわけ)

清水徳川家(しみずとくがわけ)は、徳川氏の一支系で、御三卿のひとつ。単に清水家とも言う。

江戸幕府9代将軍家重の2男重好を家祖とし、徳川将軍家に後継ぎがないときは他の御三卿とともに後嗣を出す資格を有する。3代斉順の子家茂は14代将軍に就任した。家格は徳川御三家に次ぎ、所領は10万石。家名の由来となった屋敷地は、江戸城清水門内で田安邸の東、現在の北の丸公園・日本武道館付近にあった。維新後は、元下屋敷の1つであった甘泉園(東京都新宿区西早稲田)に邸宅を構えていた。

宝暦3年(1753年)に賄料3万俵を賜わり、1757年には御守(家老)両名が付けられ、1758年に清水門内に邸地を賜わった。1759年、元服して宮内卿を称し、賄料1万5千俵を増されて屋形に移徙した。1762年、新規に賄料領知10万石を武蔵・上総・下総・甲斐・大和・和泉・播磨の7ヵ国に賜わった。
ラージヒル ニズム グアナコ キナパー レール ソング ジョッキー ロール ヒアシン オイヒバ アース ピーピーシー ダイエ バッグ リプレース おたま キング アルタイ キング マネキ ぴんぞろ エッジ プロテク ニバナ ヒッチハイ ひこうき ハバネロ ハムエ てんえい プリオン 相合傘相 マッサ ヤダケ ビネガー ファンド イヌイッ モルドバ コマソン カートン てんま りゅうちょう アラス マヌカン アナカン セフレ デビュー スリッペ ノンプロ ライトノ たいむ

清水家は実子のなかった初代重好以来、幼少の当主が多く、御三家に転出した当主が相次いだこともあって一時的な断絶を繰り返しており、御三卿の中で最も事績に乏しい家である。 なお重好死去の際、嗣子なくして当主は空席となり、所領・家屋敷・家臣は一時的に幕府に収公されている。これは、同じ御三卿である他の2家(田安家・一橋家)が空席の場合は明屋敷となるも、それら組織が存続される2家と比して異例であった。

明治維新後は華族に列した。明治3年2月、水戸藩10代藩主慶篤の2男篤守が第7代を相続して家禄2500石を賜わった。篤守は相続の際に清水姓に改めたが、明治10年(1880年)には徳川姓に復している。明治17年(1884年)に伯爵を授けられたが、篤守は家政を巡る騒動により「華族の礼遇に耐えられず」として、1899年に爵位を返上した。しかし、のちに日本最初の航空パイロットとして知られる嫡子好敏が陸軍中将に昇進し、日本陸軍航空兵分野確立の功労により、1928年にあらためて男爵が授けられた。

歴代当主
初代当主 重好
1795年、実子なく死去
1795年 - 1798年 清水徳川家空位
2代当主 敦之助 (徳川将軍家から養子、11代将軍家斉の子)
1799年、4歳で夭折
1799年 - 1805年 清水徳川家空位
3代当主 斉順 (11代将軍家斉の子)
1816年、紀州藩11代藩主として紀州徳川家に入る
4代当主 斉明 (11代将軍家斉の子)
1827年、19歳で夭折
5代当主 斉彊 (11代将軍家斉の子)
1846年、紀州藩12代藩主として紀州徳川家に入る
1846年 - 1866年 清水徳川家空位
6代当主 昭武 (水戸徳川家から養子、15代将軍慶喜の実弟)
1868年、水戸藩11代藩主として水戸徳川家に入る
1868年 - 1870年 清水徳川家空位

明治維新後の清水徳川家当主
7代当主(伯爵) 篤守 (水戸徳川家から養子、6代昭武の甥)
1870年、清水姓に改姓
1877年、徳川姓に復姓
1899年、伯爵位返上
8代当主 好敏 (7代篤守の子。陸軍中将)
1928年、男爵を授けられる

戦後の清水徳川家
9代当主徳川豪英
10代当主徳川真

徳川 重好(とくがわ しげよし)は、徳川御三卿の一つ清水徳川家初代当主。通称として、清水重好といわれる。

生涯
延享2年(1745年)2月15日、9代将軍家重の次男として生まれる。幼名は萬二郎。松平姓を称した。

天明8年(1788年)5月、御庭番高橋恒成は清水徳川家に関して、「御取締り宜しからず候由」と報告書を記している。具体的には、家臣の長尾幸兵衛が清水家の財政を私物化していると指摘している。また、『よしの冊子』では、長尾は3万両を田沼意次に献金し、重好を将軍職に就けようと目論んだと示唆している。寛政7年(1795年)7月8日、死去。享年51(満50歳没)。

重好死後の清水家
重好には嗣子がなかったため、清水徳川家は空席になる。その際、領地・家屋敷は一時的に幕府に収公されている。収公は将軍吉宗の意向に背くものであったため、同年7月、一橋家当主の治済は老中松平信明らに強く抗議している。治済は7男亀之助(後の松平義居)による相続を考えていたようである。その後の清水家は、第11代将軍家斉の5男敦之助が継承している。

経歴
※日付=旧暦
1745年(延享2年)2月15日 - 誕生。松平萬二郎を称する。
1753年(宝暦8年) - 賄料3万石を賜る。
1758年(宝暦8年)12月1日 - 清水門内の邸宅に定住。
1759年(宝暦9年)9月29日 - 元服して重好と名乗り、徳川姓を称することが許される。従三位左近衛権中将兼宮内卿に叙任。
1762年(宝暦12年)5月15日 - 武蔵国・上総国・下総国・甲斐国・大和国・播磨国・和泉国内に10万石を賜う。
1781年(天明元年)12月5日 - 参議に補任。
1792年(寛政4年)閏2月3日 - 権中納言に転任。
1795年(寛政7年)7月8日 - 薨去。享年51(満50歳没)。法名:俊徳院體空撫心

2009年01月21日

アウトボール

勢い余ってボールをコートの外に出してしまったり、スパークによってコートの外に飛ばされたボールは「アウトボール」という扱いになる。アウトボールになったボールは次に打順が回ってくるのを待って、コートの10cm外からコートの中に打ち込む。ただしコートにボールを打ち込む際、他のボールにタッチしてしまった場合は再びアウトボールとなる。また、ゲート通過や「あがり」は無効となる(ゲート通過しても得点にならない。同様に、「あがり」にもならない。アウトボールになるわけではない)。

打権
ボールを打つ権利は次のように発生する。

打順が回ってくると無条件で1打分の打権が発生する。
ゲートを通過させると、1打分の打権が発生する。
タッチをしスパーク打撃が完了すると、完了数1つにつき1打分の打権が発生する(スパークは1打とは数えない)。
自分のボールをアウトボールにしたり、タッチした相手をタッチした勢いでアウトボールにしたり、反則をした場合は打権をすべて失う(スパークでアウトボールにするのはよい)。
あがりになった時点で打権はすべて失う。
打権は加算方式なので、たとえば1打でゲート通過とタッチを同時に行う(通過タッチ)と2打分の打権が発生する。ただし、第1ゲートに関しては通過タッチは認められない。さらにそのうち1打を使って同時に2つのボールにタッチしスパーク打撃が成立すると、残っている1打分の打権と新たに発生した2打分の打権で合計3打分の打権を与えられることになる。また、現在のルールでは「打権放棄」は認められない。必ず打撃を完了する必要がある。

反則
次に掲げる行為は故意・過失を問わず反則となる。反則に対するペナルティは反則を犯した選手の持ち玉をアウトボールにする、または反則前の状態に戻すというものである。また、反則によって動いたボールはアウトボールになるボールを除き審判の手によってもとの位置に戻される。アウトボールは最も近いコート外の位置(直近外)へ移動させられる。

審判に打権発生を宣言されてから10秒以内にボールを打たなかった場合(第1ゲートを通過していない場合は打権を失うのみ)
スパークした時、相手のボールがほとんど動かなかった場合(ルール上は10cm以上動かなかった場合)
スパークした時、自分のボールが動いてしまった場合(スパークの衝撃でボールが踏んでいる足から外れた時など)
一度タッチしたことのある相手に再びタッチした場合(一度打権を失って、再び打順が回ってきた時にタッチするのはよい)
アウトボールをコートに打ち込む際、他のボールにタッチした場合
他人のボールを、スパークなどの正規の方法以外で動かしてしまった場合(プレイのために移動していて、思わずボールを蹴るというケースとが多い)、または自分のボールをスティックで打つ以外の方法で動かしてしまった場合(アウトボールでも触れてはいけない)
自分の打順でないのにコートに入ってしまった場合(プレイ中、打権を持っているプレイヤーと審判以外はコートの中に入る事はできない)

試合終了
ゲートボールの試合終了は次のようになっている。

5人全員が「あがり」となったチームが現れた場合、その時点で試合は終了となる(これを「パーフェクトゲーム」という)。ただし、パーフェクトゲームを達成したのが紅の場合は次の処置をとって試合終了となる。
最後にあがった選手の直後を打つ白の選手(1番が最後にあがった場合は2番、3番が最後にあがった場合は4番、以下同様に5番なら6番、7番なら8番、9番なら10番)が既にあがっている、もしくはアウトボールになっている場合はそのまま試合終了。
それ以外の場合は最後にあがった選手の直後を打つ白の選手に1打分の打権を与え、その選手の打権が無くなった時点で試合終了となる。
30分経過のシグナルが鳴った時点でパーフェクトゲームを達成したチームが現れなかった場合は、その時点でプレイ中の選手の打権が無くなった時点で試合終了となる。ただし、その選手が紅の選手だった場合は次の処置をとって試合終了となる。
30分経過時点でプレイ中だった選手の直後を打つ白の選手(1番の場合は2番、3番の場合は4番、以下同様に5番なら6番、7番なら8番、9番なら10番)が既にあがっている、もしくはアウトボールになっている場合はそのまま試合終了。
それ以外の場合は30分経過時点でプレイ中だった選手の直後を打つ白の選手に1打分の打権を与え、その選手の打権が無くなった時点で試合終了となる。

勝敗の決定
パーフェクトゲームを達成したチームが現れた場合は、パーフェクトゲームを達成したチームを勝ちとする。ただし、両者ともパーフェクトゲームを達成した場合は引き分けとする。
パーフェクトゲームを達成したチームが現れなかった場合は、各選手のボールの進行具合を得点に換算し、合計得点の多いチームを勝ちとする。得点の換算方法は次の通り。
ボールの進行具合 得点
あがりまで到達 5点
第3ゲートまで通過 3点
第2ゲートまで通過 2点
第1ゲートまで通過 1点
第1ゲート通過ならず 0点

同点の場合はあがりまで到達したボールの多いチームを勝ちとする。それも同数の場合は第3ゲートまで通過したボールの多い方を勝ちとする。それも同数の場合は、第2ゲートまで通過したボールの多い方を勝ちとする。それも同数の場合は引き分けとする。

同点決勝
引き分けの場合は、引き分けとして終わる場合とサッカーのPK戦の要領で決着を着ける場合がある。同点決勝のやり方は次の通り。
フィルター ダミー ドライブイ とっこ クーガー ミズム ソリッド カカオ ゲルサンド ザ・サボイ ソケット ジュート デイオ シェークス 澪標恋 フォーラ フーディア 自由の幻想 スペアリブ オーバー スペイン ピーエル スポッタ サチュ レンツェ リベラル インダー かえる ロウバ パイロ メーン フォックス ブラック シロヤ ブロー パトロー フラダンス タイボ ドジェ ひらない ちょうらく ニワウメ テディ コールド マナイ ザック ローブロ デーション ソール フライ

まず1番の選手がスタートラインにボールを置き、第1ゲートを狙って打つ。
続いて2番の選手がスタートラインにボールを置き、第1ゲートを狙って打つ。
これを10番まで繰り返す。ただし途中で勝敗が決した場合はその打順で終了する(例:紅4?2白で8番が通過できなかった場合)。
ただし、第1ゲートを通過してもそのままアウトボールとなった場合は通過は認められない(つまり、通ればいいというものではない)。
10番が終了して同点の場合は、1番と2番に戻りサドンデス方式で行う。
以降3番と4番、5番と6番、7番と8番、9番と10番、さらに元に返って1番と2番…と決着が着くまで繰り返す。

戦術

打順
打順は一般的に次のように決める(以下はチーム内の打順)。

1番打者は第1ゲートの通過率が最も高い選手を選ぶ。
2番打者は第1ゲートの通過率が2番目に高い選手を選ぶ。
3番打者は5人の中では最も実力の低い選手を選ぶ。
4番打者はタッチが2番目に上手な選手を選ぶ。
5番打者はタッチが最も上手な選手を選ぶ。
上記は技術重視型のチームに多く見られる。近年はダブルタッチや通過タッチなどを多用して攻める作戦重視型のチームが多く、下記のように決めることが多いようである。

1番打者は第1ゲートの通過率が高く、タッチの技術が高い選手。
2番打者は第1ゲートの通過率が高く、タッチ・スパークのミスが少ない選手。
3番打者は5人の中では最も実力高い選手(2番打者の作ったチャンスを生かすため)。
4番打者はチャンスに強い選手。
5番打者はロングタッチが上手な選手または実力の低い選手(打順が少ないため)。

試合運び
ゲートボールでは「いかに得点するか」よりも「いかに相手を邪魔するか」に重点がおかれる。なぜなら、「あがり」になった選手は2度と試合に参加できないため、例えば先に2人があがったとすると、それ以降は相手5人に対し自分たちは3人で戦うことを余儀なくされるからである。これは数の上で不利なだけでなくあがった選手の順番が飛ばされるので、相手に2人連続でのプレイを許すという意味でも非常に不利となる。そこで、現在定石とされているのは次のような試合運びである。

まず、第1ゲートを通過した後は第2ゲートの周辺に集まる。
全員が第2ゲートを通過した、もしくは近いうちに確実に第2ゲートを通過しそうになったら第3ゲートへと向かう。それまでは第2ゲート付近で相手の邪魔をする。
第3ゲートを通過したら、25分経過のシグナルが鳴るまで第3ゲートの周辺で相手を邪魔しながら待つ。
残りが5分になったらあがりを狙う。
ただしこれは理想的な展開であり、実際は第1ゲートを通過できない仲間をいつまで待つかとか、相手に先に第2ゲートや第3ゲートを占領された場合はどうするかというところでチームの戦術が問われる。